六点漢字の自叙伝(35)


六点漢字の自叙伝(第35回)1999年9月、通巻第201号

EC問題と触覚を伴うバーチャルリアリティを求めて

 いよいよこれが最終回である。

少しでも多くのことを具体的に記録しておきたい。

・その他の六点漢字ワープロ

 これまで述べたもののほかに、世の中に知られていないが、視覚障害者が自身で 開発した六点漢字ワープロがある。

パソコンがまだ珍しい時代であり、その技術力 に感心した。

それらは、自分自身の利用の必要から開発されたものであるから、普 及の努力 は払われなかった。

 山口県立盲学校の中田克文(ナカタ・カツフミ)氏は、PC−88でフルキー方式 による、六点漢字ワープロを開発した。

 その時に用いたネオログ電子製の、音声装置とプリンターとの切替器は、AOK 88ワープロにも取り入れられ、当時のAOKを一層便利にした。

 大阪府立盲学校の大城敏雄(オオシロ・トシオ)氏は、PC−9801を用い、 「代 筆君」という六点漢字ワープロを開発した。

 これは、フルキーボードを六点キーとして用いる方式で、AOK98の発表の折 に、同じ会場で発表された。

・六点漢字の点字資料発行

 兵庫県立盲学校の増田守男氏は、六点漢字の月刊誌「ブレイルメイト」を昭和5 7年から発行した。

 六点漢字を含む小学生向けのやさしい文章の雑誌であった。

 増田氏には、これらの点字印刷を行なって下さった神戸ニューブレイルとともに 感謝している。

 AOK88を開発した高知盲学校は、サーモフォームの立体図形による「部首の 手引き」、六点漢字による「解剖学」などの点字図書を発行している。

 福島県立盲学校の目黒伸一氏は、小・中学校における学習漢字の教材を作成し、 それを点字書として発行している。

 熊本県立盲学校の前田吏(マエタ゛・ツカサ)氏は、小学校1年生からの教科書を 点字で発行している。

 それに、漢字の形をワープロの音声で説明する資料も作った。

 沖縄盲学校の高等部のクラブ活動で、グリム童話を点字で発行した。

勿論、指導 教員もいたであろうが、生徒の力でよくやってくれた。

六点漢字熟語辞典

 これは、平田祥浩(ヒラタ・ヨシヒロ)、和枝ご夫妻により編集され、東京ヘレン・ ケ ラー協会から発行されたものである。

 全10巻の本格的辞典である。

 平田氏は、六点漢字を独学で約3か月でマスターした。

 そして「六点漢字学習書」全6巻などを、自分で製版し点字出版した。

 「六点漢字熟語辞典」については、和枝夫人とともに1年間で完成させる目標を 立てた。

 昭和60年の年頭に編集を開始し、見事に同年12月に完成させた。

・OS−TALKと「80点」

 現川崎医療福祉大学教授の太田茂氏が、富士通に勤務の頃、昭和60年に福祉シ ステム研究会を結成した。

 私は結成後1年ほどしてこの会に入会した。

 現弘前大学助教授の小山智史(コヤマ・サトシ)氏は、当時電気通信大学に所属し ていた。

そして富士通のFM16βというパソコンでOS−TALKという音声化ソフトを 開 発した。

 私はこれで市販のワープロを使ってみたが、ワープロとしてはAOKの方が使い や すかった。

 しかし、NECの98が全盛時代にあって、他の機種でMS−DOSの音声 化に対応している点がユニークであった。

 OS−TALKは、ずっと後になり、富士通が直接扱うようになりFM−TAL Kと改名された。

 OS−TALKには、漢字の1字ずつを、音声で説明する「詳細読み」の機能が ついていた。

そこで、私はこの詳細読みの方式をAOKに取り入れるように勧めた。

 その結果、「6点式キー入力」、「仮名、漢字変換」 とこの「詳細読み」を利用することにより、AOKワープロは、六点漢字を知らな くても視覚障害者が一層広く使える日本語ワープロになった。

 私は、六点漢字を作り、初めての点字キーによる日本語ワープロを開発した者で ある。

 六点漢字を作ったのは、当時はまだ便利に利用できる仮名、漢字変換のソフトが なかったからである。

便利な仮名、漢字変換ソフトができても、六点漢字による能率的な漢字入力の可能 な人は、それを使えばよい。

 また、六点漢字は知らないが、仮名、漢字変換で漢字入力を行 ないたい人は、その方法を使えばよいと思ってきた。

 AOK日本語ワープロは、正にその、いずれの人にも使えるシステムを実現した のだ。

六点漢字は、日本盲人職能開発センターのよう に、職業として、文字入力の能率を上げるためなどに、それを必要とする人達が使っ てくれればよいと思っている。

 福祉システム研究会は、このOS−TALKのほかに、自動点訳を助けるための 「80点」というフリーウエアを開発した。

 これは、漢字を含むファイルから、分かち書きのされた仮名文への変換を行なう ものである。

 当時、「がってんだ」(言語工学研究所)という自動点訳ソフトがあった。

 「がってんだ」とは、「点訳を引き受けた!」の意味と私は解釈している。

 しかし、それは、ソフトだけでまだ数十万円と高価だった。

 そこで「80点」が登場するのだが、その開発のいきさつはこうである。

 私がPC−VANにおける視覚障害者の掲示板であるVOICEを読んでいたら、 Y 県のS氏が、「一杯のかけそば」(栗良平著)をZTOH(ゼット・トゥ・エイチ) で仮名文にし、点字のマスあけや、点字式助詞の「わ」、「え」の修正などを手で 行なっていた。

 そしてそれが大変な作業であるという掲示を見た。

 そこで私は、小山氏に相談し、点訳の経験もある飯塚潤一氏も加わり、ZTOH の作者の了解を得て、「80点」が開発された。

 なお、ZTOHは、「全角[漢字を含む](Z)から半角[片仮名文へ](H)へ(t o)」という意味である。

「80点」とは、漢字を含む文から、正しいカナ文への変換率が80%という表現 だ が、これは、かなり遠慮した数字であった。

 実際に、漢字を仮名にする精度は、90数%に達していた。

 最初は、朝日新聞社の「天声人語」に合わせて変換辞書を作ったので、天声人語 については、ほぼ100%に近い変換率だった。

・パソコン通信の経験

 昭和61年末のことである。

私は、電気通信大学の小山智史氏の研究室でOS− TA LKで、アスキーのascというパソコン通信の実験netに接続するのを見た。

 私も何とかそれが自分のところでできるようにしたかった。

 そこで、太田茂氏の紹介で、富士通からFM16βを借りた  。

私は勤務校の筑波大学附属盲学校の了承を得て、昭和62年1月から、学校の 電話回線でパソコン通信を初めた。

 最初は音響カプラーという、電話の受話機の音声を通しての通信だった。

 その接続の不安定さは、今でも忘れられない。

 電話のダイヤルを自分で回し、10〜20回でやっとつながるという状況だった。

 その頃は、まだ半角のカナだけの文が掲示板など、通信の文字として結構使われ ていた。

 しかし、間もなくそれに代り、1200bpsのモデムが使えるようになり、何 と便利なものかと驚いたものである。

 昭和62年ごろ、実験ということで、幾つかのnetが無料でサービスを行なってい た。

私は、アスキーネット、テルスター、ニッケイMIXなどに入っていたが、有料に なってからはPC−VANに加入した。

当時はNIFTYはまだなかった。

 昭和62年9月23日の朝日新聞の全記事を、実験としてダウンロードしたこと があ る。

 1200bpsのモデムで、ダウンロードに約2時間かかった。

 そのファイルを六点漢字を含む点字に変換し、ブレイルマスターという点字ライ ンプリンターの付いた装置で印刷した。

 この印刷時間も2時間ぐらいだった。

 そして新聞1日の分量が、点字の24行印刷で307ページになることがわかっ た。

・最初の点字ワープロ開発から6年で全国に普及

 昭和62年12月に、私はAOK98をパソコン、ディスプレイ、漢字プリンター と共に東北の盲学校のO氏と北海道のM氏に、貸与のために送った。

 これで全国の盲学校に視覚障害者用ワープロが普及したことになった。

 それは、いろいろな情報で、どこの盲学校にどのワープロがあるかがわかってい たから、まだワープロのない学校へ送ったのである。

 昭和56年のFM−8による第1号機を開発してから丁度6年目であっ た。

 昭和62年度に東京都は4校の都立盲学校に対し、AOKワープロを導入するた め、 NECのPC−98シリーズのUV2を合計20セット配置した。

 その予算は、約2000万円と聞いた。

これはうらやましかった。

 私は自費で購入した自分の旧式なNECのPC−98で生徒に教えていたのであ る。

・AOK声の国語辞典の誕生

 今では、ワープロを使いながら、ハードディスクやCD−ROMの辞書を利用す ることは普通になった。

 視覚障害者用ワープロでそれが最初に行なわれたのはAOK98 (Ver. 2.4)においてである。

これは画期的なことである。

 点字の「新明解国語辞典」(三省堂)で50巻のものがあるが、個人でそんなに 大きな辞典を持つことはできない。

 点字の辞典には、これ以上の巻数にのぼる英和辞典もある。

 また点字の辞典は、原文の漢字を含む文字が、仮名点字に点訳されている。

これ では言葉の意味がわからないこともある。

 もし、意味がわかったとしても、原文の漢字はわからない。

 漢字がわからないとワープロで文書が書けない。

 AOKの声の国語辞典は、「新明解国語辞典」(第2版)が基になっている。

 これは、情報処理学会が三省堂とともに、恐らく国語辞典を初めてデータ化した ものである。

 それを電子技術総合研究所の矢田光治(ヤタ゛・ミツハル)氏の紹介で、そのデー タを、昭和52年ごろ、私が使えるようになった。

最初のデータは、コンピュータ用磁気テープ5巻ほどであった。

 後にそれを金沢工業大学の水野舜先生のところで六点漢字の点訳データにしても らった。

 その点訳結果は、8インチのブレイルマスター用のフロッピーディスクに収めら れた。

その点訳の印刷については前に述べた通りである。

 このようないきさつから、三省堂の国語辞典のデータ担当者の仲佐(ナカサ)氏を AOK日本語ワープロの関係者に紹介し、やっとAOKという個人の持てるワープ ロで、電子辞書が使えるようになったのである。

 これにより、AOKは、単なるワープロでなく、もし点訳すれば点字で50巻に ものぼる国語辞典を兼ねるようになった。

 これは、視覚障害者における辞書利用の大きな革命であった。

・六点漢字と点字における文字の本質

 この問題については、最も多く解説を加えなければならないところだが、この原 稿が最後だから既にその余裕はない。

 そこで、その本質だけについて述べることにする。

 最もわかりやすく言えば、点字で漢字は作れない。

 それで、「六点漢字」とは、墨字の漢字に対応した「点字による漢字の連想コー ド」なのである。

 日本の点字において1の点は、仮名の「あ」である。

 それに数符が付くと数字の「1」、外字符または外国語引用符がつくと、アルファ ベットの「a」、更に大文字符が付くと、「A」になる。

 このことは、点字における1の点は、墨字の形に対応したものでなく、仮名、数 字、アルファベットにおける、それぞれの文字グループの中において、順番に、ど れかの文字に割り当てられているということである。

 ルイ・ブライユの6点式点字は優れている。

 そして、それだけでなく、その63個の符号に当てはめた「ブライユの点字配列 表」及びそれに基づくアルファベット、数字などの記号もよくできている。

 日本においては石川倉次が、このブライユの点字配列表を巧みに日本 語の五十音に当てはめた。

そして濁音類、拗音類も見事に表現できるようにした。

これらのことは、いくら賛美してもしきれないほど立派な業績である。

 しかし、もし、この6点式点字を前提にして考えた場合、ブライユや石川の点字 でなくても、アルファベットや仮名を作ることはできる。

 それは、数10個の仮名、アルファベット、10個の数字は規則性や連想性がな くても覚えられるし、また読めるであろう。

 要するに、人間は、数十個から百数十個ぐらいの符号なら、無条件に覚えられる ということである。

そこで漢字について考えよう。

 学校で教える常用漢字は1945字である。

 しかし、これは言葉として使われる漢字であって、岡山県の「岡」や熊本県の 「熊」などの固有名詞や多くの動植物名の漢字が含まれていない。

 だから漢字を含む文章の読み書きができるようになるためには、常用漢字以外の 漢字も読み書きできるようにならなければならない。

その数は、個人によって違うが、常用漢字と合わせて、合計でおおよそ2500字 から3000字である。

 この数は、仮名、数字、アルファベットの数とは比較にならない。

 このように多数の漢字を連想なくして覚えることはできない。

 六点漢字体系は六点式点字を用いることはもちろんであるが、「すべての漢字を 漢字の中国の発音からに由来する音(おん)で表わす」ことを基本としている。

 漢字には同音の漢字があるので、常用漢字に限り、訓がある場合は、その先頭の 仮名で区別し、訓がない場合は、「うかんむり」を「うか」とするなど、その部首 を仮名2文字で表現し、原則として前の仮名を同音の漢字の区別に用いている。

 なぜ、漢字の部首を仮名の2文字にしたかということである。

 それは中国の康煕字典に漢字を214部首に分類してあるからである。

 214部首を仮名で符号化する場合、仮名の清音は約50字であるから、これを 2文字必要とする。

 例えば、「いとへん」(糸)を「いと」、「うまへん」(馬)を「うま」のよう にである。

 康煕字典は、日本の漢和辞典、JIS漢字の分類や国際的な漢字分類における標 準になっている。

 常用漢字において、訓のあるものと、訓のないものとの数は、おおよそ半数ずつ である。

 常用漢字以外の漢字は、例外の2字の「岡」「藤」を除き、すべて音と部首の組 み合わせにしてある。

これを例外にしたのは、漢字の使用統計による。

 六点漢字には、JISの「X 0208」の6355字、「X 0212」の58 01字に対応した、12,156字の漢字がある。

 そして、これからも必要に応じ、音と中国の「康煕字典」の部首の組み合わせに より増加させていく予定である。

 漢字に音があるかぎり、どの漢字も音読みができる。

これに勝る便利な点字の漢 字を作る方法があるだろうか。

・EC問題とバーチャルリアリティ

 私の今のテーマは、EC(電子商取り引き)と視覚障害者のバリアフリーとの問 題である。

 幸い、郵政省の大宮地区における「郵便貯金ICカードサービス」の実証実験と、 デビットカードの「J-Debit」については、店舗に置かれる端末は、視覚障害 者にとって最低限の要求であったが、こちらの言い分を受け入れてくれた。

 ECについては、コンビニに置かれるATM(現金自動預け払い機)など、これ からも多くの問題が出て来るだろう。

・触覚を伴うバーチャルリアリティ

 これについては、1994年以来、できるだけ体験できるものは、実際に触って 体験してきた。

 私は、仮想の立方体を、2本の指ではさみながら持ち上げ、その重みを感じるな どの体験をした。

 この30種余りのバーチャルリアリティの物体に触ることにより、この応用が、 将来において視覚障害者の福祉技術に大いに関係すると考えた。

 この体験の意味は、言わば、健常者の世界における高柳健次郎が最初に電子式テ レビのブラウン管に表した片仮名の「イ」の字に相当する。

 それは、日本の誇る昭和初期における電子式テレビの実験である。

 今の健常者の映像文化のすべての原点は、この「イ」の字に始まるのである。

 三次元触覚ディスプレイで、視覚障害者が、いろいろなものに触って認識できる ようになる時代が必ずくるだろう。

■おわりに

 これまで、35回にわたり、「六点漢字の自叙伝」として私の過去を中心に書か せていただいた。

 できるだけ体験した事実に基づき具体的に書いたつもりだが、まだ書き漏らした ことが多い。

私の活動は、東京教育大学(現筑波大学)附属盲学校時代の全点協運動に始まる。

 これは、点字教科書の発行と、それが無料になってしまった運動であった。

 しかし、本当は、点字教科書を通常の学校の生徒と同じ種類だけ発行し、同じ価 格で購入させて欲しいという運動であった。

点字教科書の無料を求めた訳ではない。

 今は、EC時代において、視覚障害者が生活できるように活動しているつもりで ある。

 東京ヘレン・ケラー協会出版局長の井口淳氏には、昭和56年の点字ワープロ開 発 の後、「何か出来ることがあったら遠慮なく言って下さい」と温かい言葉をいただ い た。

そこで2年後に、平田祥浩・和枝夫妻の「六点漢字熟語辞典」の発行をお願いした。

また、「点字サイエンス」への連載については、編集の福山博氏のご配慮があった。

「点字サイエンス」休刊を惜しみつつ、ここに心より感謝申し上げる。

    (六点漢字協会会長/長谷川貞夫)

もどる