六点漢字の自叙伝(30)


六点漢字の自叙伝(第30回)1999年4月、通巻第196号

− 富士通製パソコンFM−8のテレビコマーシャルに視覚障害者が出演 −

 パソコンによる点字ワープロ第1号機を開発して、それを使って盲学校の生徒や 校外の視覚障害者に、これまでにはできなかった通常の文字の文章などを書くこと を教えていた。

 やはり、墨字(通常の文字)で自分の名前を、生まれて初めて書いた時は、誰も が本当にうれしそうだった。

 それ以後、私は点字キーで視覚障害者用ワープロを教える時、最初に自分の氏名 を漢字で書いてもらうようにした。

 筑波大学附属盲学校の生徒で最も早くワープロに触れたのは、高等部1年生の 田中文人(ふみと)君と、高等部2年生の斎藤エリさん達だった。

 1982年2月のある日だったろうか。

富士通のパソコン販売促進部の和田さん という方から電話があった。

 電話の内容は、「長谷川さんは、パソコンのFM−8を4台も買いましたが、一 体、どのような用途で使うのですか?」ということだった。

 「実は、私は全盲の視覚障害者です。それで、点字キー方式による日本語ワープ ロを開発したのです」と答えた。

 すると、「販売促進部なので、何かご協力できますか」という質問が戻ってきた。

そこで、「この点字ワープロを、視覚障害者に普及するために、もっとパソコンが 沢山欲しいのです」と答えた。

 その結果、FM−8のフル装備である8セット分のパソコン本体、当時における 高級ディスプレイ装置、通常の大きさと大型のプリンター、8インチと5インチの フロッピーディスク装置、それに付属品が貸与されることになった。

 ディスプレイは、今ではカラーが当たり前だが、当時は超高級品だった。

 この援助は、私にとって飛び上がるほどうれしい話であった。

 細かく計算していないが、大きなダンボール箱約40個に近い分の量で、恐らく 合計で約1千万円をはるかに越えた製品の提供であっただろう。

 とにかく、当時は、8インチのフロッピーディスク装置だけでも約50万円ぐら いだった。

 それほど富士通は、漢字の使えるこのFM−8の販売に期待したのだ。

そして、 確かにそれは成功した。

 ただ、ここで私の立場における問題が起こった。

 それは、その40個に近いにも上る大きなダンボール箱を、学校のどこに置くか である。

 また、そのパソコンの台数に合わせた点字キーボードを、自費で新たに作らなけ ればならなかった。

 機械の入ったダンボール箱は、附属盲学校の校舎の4階にあった、筑波大学教授 の研究室で、たまたま空いている部屋があって、そこに置かせていただくことで解 決した。

 その頃、この点字ワープロ第1号機を開発してくれた佐藤亮(あきら)氏が、パ ナファコムを退社し、ベンチャー企業の「CACG」(コンピュータ アシスト コ ンサルタント グループ)に転職していた。

 そして、その設立されたばかりの会社の初の仕事として点字キーボードの製作を 行なうことになった。

 私は、前に買ったパソコンで不足する点字キーボードの数と、新たに 貸与されるパソコンの数に合わせ、11台の点字キーボードをこの「CACG」に 注文した。

 佐藤さんは、開発された第1号機については、ボランティアで点字キーボードや、 すべてのプログラム開発を行なって下さっていた。

 しかし、会社の仕事となると営業方針もあって、点字による日本語ワープロの製 作を、佐藤さんの一存でボランティアというわけには行かなくなった。

 確か点字キーボード1台が、11万8千円だった。

この11台の製造販売がCA CGの初の営業となった。

 私は、約130万円をCACGに支払った。

 CACGは、名前を変更し、今(1999年現在)も池袋に歯科医療関係機器の 会社としてある。

 1982年3月になって、富士通からテレビコマーシャル出演の話があった。

当 時は、パソコンがまだまだ珍しかった時代である。

 「パソコンが障害者の福祉にも役立ちます」というアピールを狙ったコマーシャ ル企画であった。

 会社としては、自身が視覚障害者であり、また開発の中心となっていた私に出演 させたかったようだった。

 しかし、私は国家公務員である。

 公務員は、テレビコマーシャルには出られないはずである。

そこで、人事院にも 確かめた。

 その結果、やはり無理であることが分かった。

 そのため、日本点字図書館の岩上義則(いわかみ よしのり、現日本点字図書館 館長)氏と当時、カトリック点字図書館勤務の大坪(現、圓山[まるやま])みち こさんに依頼してテレビコマーシャルに出演してもらうことにした。

 撮影は、3月の冷たい小雨の降る日に、日本点字図書館の1階の図書貸し出しの 入口付近で行なわれた。

 何回かのテストと本番で撮影は終わった。

 コマーシャルの言葉の内容は、パソコンは視覚障害者の福祉にさえ役立つもので あることを協調していた。

 画面には、全盲の岩上さんと大坪さんの前にFM−8と、佐藤亮さんによる初の 点字キーボードが映っていたはずである。

 コマーシャルの大坪さんのセリフは、「ワーッ‥‥!パソコンって、こんなに障 害者の福祉にも役立つんですね!」というようなものだった。

その1982年3月から同年の7月頃まで富士通のFM−8のコマーシャルとして、 この録画が全国に放送された。

 沖縄の友人からも、「こんなコマーシャルがありました」と、このテレビ放送の 連絡があった。

 恐らく、テレビ広告史上で、全盲の視覚障害者がコマーシャルに出演したのは、 これが初めてだったであろう。

 富士通は、その後、新製品であるパーソナルワープロとして、「マイオアシス」 を、1982年7月頃から本格的に発売した。

 これは、パソコンそのものではなく、専用の日本語ワープロであるから、健常者 が、スイッチを入れれば、そのまま日本語ワープロになった。

 私は、この健常者用ワープロ発売の以前に、パソコンのFM−8による視覚障害 者用ワープロを、視覚障害者である私が中心となり開発できたことを誇りにしてい る。

 健常者用の専用ワープロの「マイオアシス」は、5インチのフロッピーディスク 装置が1台付き、FM−8と同じような粗い文字品質の印刷 で、価格は約70万円であった。

 こちらのコマーシャルには、アメリカ人の相撲の力士で当時有名な「高見山」 (たかみやま)が出演していた。

 このコマーシャルの出現とともに、岩上氏、大坪さんによるFM−8のコマーシャ ルの放送は、段々と少なくされて行った。

 FM−8のコマーシャルの取材のあった後、3月末になり、学校の春休みの時期 に入った。

 すると、大坂、兵庫、青森と遠くから盲学校の教員が、待ちわびたように東京都 文京区にある筑波大学附属盲学校の私を訪ねて来た。

 それは、1月に点字新聞である『点字毎日』で、視覚障害者用ワープロ開発のニュー スを知ったからである。

 兵庫県立盲学校の増田守男氏と、大阪府立盲学校の大城敏雄氏は、共に全盲の友 人同士であったが、健常者の付き添いもなく、白杖だけでわざわざ新幹線で東京の 私を、ワープロを見に訪ねてくれた。

 大城氏は、朝日新聞の3月の記事で紹介されたこの点字による日本語ワープロ紹 介の記事を、あらかじめ点字に書き直したものを用意してきた。

 そして、筑波大学附属盲学校に到着してすぐに、通常のカナの点字と私の開発し た六点漢字の点字を使って、その場でワープロを操作し、その記事の内容を通常の 文字に印刷し、元の朝日の記事と同じ文章にした。

その新聞記事は、この点字ワープロを開発したことを報じた、『朝日新聞』の19 82年3月14日付朝刊のものであった。

 増田氏は、後に『ブレイルメイト』という六点漢字の雑誌を発行してくれた。

こ れは、私にとって非常に有難い応援となった。

 同じ春休みには、青森盲学校から内田利男氏が、こちらも全盲の同僚と2人で、 ワープロを見るために私を訪ねて来た。

 附属盲学校の同じ校舎の中にいて、もちろん、この新開発の視覚障害者用ワープ ロに関心を持ってくれる人も多くあって有難かった。

 しかし、関西や東北の遠くから、全盲の仲間が、わざわざ点字ワープロを見に、 白杖だけで来てくれたことは、この上なくうれしかった。

 全国の盲学校には、「全日本盲学校教育研究会(全日盲研)」という研究組織が ある。

 この研究会では、毎年、夏休み中の7月末から8月の初め頃にかけて全国研究発 表大会を開いている。

 その全国大会で研究発表を行なうには、関東地方の場合、毎年5月 末に開かれる「関東地区視覚障害教育研究会(関視研)大会」で全国発表の推薦を 受けなければならなかった。

 私は、1982年5月に、この関視研大会の理療科部会と点字部会に、点字ワー プロ開発の研究発表を申し込んだ。

 そして、この新しい点字ワープロを、会場校である東京都立文京盲学校へ、前日 に運び込んだ。

 そして大会当日に、両部会でワープロを実際に操作しながら発表した。

 実際に機械を操作しながらの発表であったから、その反響は大きかった。

 もちろん、理療科部会においては「東洋医学における点字ワープロ応用」のテー マであった。

 私は、この二つの発表のテーマが違うから、両部会から、全国発表の推薦を受け ると思っていた。

 しかし、推薦は、点字部会からだけだった。

 それで、その年の8月に開かれる岐阜盲学校の全日盲研の研究大会点字部会だけ で発表することになった。

(六点漢字協会会長/長谷川貞夫)

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