六点漢字の自叙伝(25)


六点漢字の自叙伝(第25回)1998年11月、通巻第191号

内閣告示「常用漢字表案」に差別語を発見

− 自動代筆で国語審議会全委員に差別語の撤廃を要請 −

 昭和54年3月30日に、第13期国語審議会が、それまでの「当用漢字表」(昭和21年)に代わる、「常用漢字表(案)」の答申を文部大臣に行なった。

 これは、その後の手続きを経て、内閣告示として、今日の「常用漢字表」となるものであった。

 以下は、この内閣告示の「常用漢字表(案)」から、視覚障害者に対する極端な差別語である、「盲」(モウ)の字の「メクラ」の訓読みを、いかにして撤廃させたかの、19年前の記録である。

 この答申の2カ月余り前の昭和54年1月中頃に、近く当用漢字表に代る、新漢字表が国語審議会から答申されるという情報が入った。

 私はこれを聞いて、特に心配になることがあった。

 それは、六点漢字を最初に作る時から始まったことであった。

 現在の「常用漢字表」は、それまでの「当用漢字表」(1850字)に漢字95字の追加とその音訓を加えたものである。

 当初の「当用漢字表」は、漢字だけを記したものであり、その読みである音訓は記してなかった。

 そのため、当用漢字の音訓など、読み方についての資料で、同じく内閣告示による、「当用漢字音訓表」(昭和24年)を内閣告示した。

 それは、終戦後の間もないころに作られたもので、まだ障害者に対する人権意識が徹底していなかったせいか、そこには、盲人の「盲」の字に、「メクラ」という差別語の訓が示されていた。

 昭和48年6月18日に、その昭和24年版の改訂版である、新しい内閣告示「当用漢字改訂音訓表」が告示された。

 しかし、この新しくなった「音訓表」にさえ、24年前と同じ差別語が示されていた。

 つまり「盲」の字における「めくら」の訓が訂正されず、そのままであり、なくなっていないのである。

 私は、この新しい改訂音訓表では、当然差別語が削除されているであろうと期待していた。

 なぜ、内閣告示に差別語が存在することが分かっていたかというと、私は六点漢字構成の研究のために、この「当用漢字音訓表」を是非とも必要としていた。

 昭和48年6月に、昭和24年版の「当用漢字音訓表」が改訂され、「当用漢字改訂音訓表」が官報として発行されたと聞き、早速、この告示の官報を霞が関にある政府刊行物サービスセンターに行き、数冊買った。

 果たして「盲」の字の訓がどうなっているかに特に関心があった。

 勤め先の附属盲学校に戻ってから、健常者の同僚(河辺清高先生)に頼み確かめてみると、何と、その差別語が依然として、そのまま残っていたのである。

誠に信じられないことであった。

 この差別語は、歴史的には、必ずしも差別語だけとして使われたわけではない。

だから、国語辞典などからまで、この言葉を削除すべきなどと、私は決して思わない。

 しかし、現在においては、差別語として使われ、視覚障害者に不幸をもたらしている面があることを否定することはできない。

 「当用漢字改訂音訓表」は、公用文書、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌などの報道機関、それに学校教育における文字使用の基本となるものである。

 このような基本となる資料にまで、この差別語を、国語表記の基準として掲載することが許されるであろうか。

すでに、終戦から28年も遠く離れた、この昭和48年という時代は、新聞、テレビなどのマスコミ用語から、障害者などに対する差別語を使わないようにすることが徹底しつつあった。

 ところが、何とこの内閣告示の有様である。

 「当用漢字改訂音訓表」に、この視覚障害者に対する差別語が、まだ厳然と残っていた。

私には信じられない事実であった。

 それから6年が過ぎて、また「常用漢字表」という名前で漢字表が内閣告示される。

 今度こそ、告示の前に、この差別語があるかを確認しなければならない。

 そこで、私は、自動点訳のことで以前にも行ったことのある、国立国語研究所に、林大(はやし・おおき)先生を訪ねた。

 先生はもちろん国語審議会委員でもある。

 早速、先生に、「常用漢字表」答申案の原案で、「盲」の字の差別語がどうなっているかをお尋ねした。

 先生は、「残念ながら、そのまま残されています」とお答えになった。

 そこで、私は、先生から、国語審議会で、この差別語を削除するようにご提案下さるようにお願いした。

 先生が、私の気持ちをよく理解して下さり、協力的であることはわかっていた。

 しかし、国語審議会は、国語のあり方についていろいろな考え方と立場の人達の集まりであり、何事も、新しいことを決めるには、相当な議論と手続きが要るようであった。

 私の想像では、先生は、その審議会の中で、難しい議論をまとめられる立場であったのだとお察しした。

 だから、ご自身で、反対の予想される提案はお避けになったのであろう。

 先生は、「あなたの目的を実現するには、49人の審議会委員に、直接にお願いの手紙を出すのがよいでしょう」といわれた。

これは、誠にありがたいご提案であった。

 そこで私は思い付いた。

やっと大型コンピュータを用い、点字キーで墨字が書けるようになったところである。

まだ、一般にもパソコンもワープロもない時代であり、ここで、私が視覚障害者であることを名乗り、点字で書いたデータを普通の文書にして請願すれば、きっと効果的だと。

 そこで、日本コンピュータセンターというところで、私が家で作ったコンピュータ用の紙テープデータから、墨字の請願書をプリントアウトしてもらった。

 手紙の発送は、昭和54年1月30日であった。

 「常用漢字表(案)」の答申は迫っている。

私は、各委員からの返事を待った。

 しかし、一通の返事もなかった。

各委員は、個人からの請願には返事をしないことになっていたのかもしれない。

だが、どんな手紙の返事にも勝る無言の返事がついにあった。

 それは、昭和54年3月30日の、国語審議会による「常用漢字表(案)」の答申であった。

 その答申からは、見事に差別語が消えていた。

 「これでよかったのだ」。

 そして、このことは、視覚障害者のメディアである、点字の新聞や雑誌、それに、当時のNHKの「盲人の時間」にも伝えなかった。

 だから、いわゆる盲界(視覚障害者の世界)では知られていないことなのだ。

私の手元には、第13期国語審議会の49人の委員名簿と自動代筆の手紙が残っている。

 大げさに言えば、これが、自動代筆(視覚障害者のワープロ)の文字で、視覚障害者が、政府を動かした最初のことである。

    (六点漢字協会会長/長谷川貞夫)

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