六点漢字の自叙伝(第23回)1998年9月、通巻第189号
発泡インク点字印刷が開発の目玉
大蔵省など、官僚による幾多の行政における失敗が問題になっている。
通産省の障害者福祉機器開発においても、同様の問題があった。
正式な開発名称は別として、「点字複製装置」、「盲人歩行用超音波メガネ」、「盲人用読書機」の開発などがその例である。
いずれも実用にはならなかった。
盲人用読書機については、開発された装置を「1,500万円なら売れます」などと無神経なことを、平気で言っていた。
これは、点字新聞の点字毎日による報道である。
一体誰が買って使うのだろうか。
その後、間もなく、パソコンがあればスキャナーとソフトを合わせて10数万円という盲人用読書装置が零細な民間企業から発売された。
いかに行政が無能で税金が無駄に使われているかがわかる。
ここに私がたまたま関係した「点字複製装置開発」を、その一例として述べてみよう。
昭和50年の初めに、ある会社のM氏が附属盲学校へ私を訪ねて来た。
どうしてM氏が私のところへ来たかというと、附属盲学校卒業生のY君がM氏の親戚とのことであった。
それで、Y君が、M氏の会社が開発している点字印刷法については、私に意見を聞くのがよいと言ったとのことであった。
M氏が私に見せた点字印刷の資料は、スクリーン印刷という墨字印刷の方法で、インクを、少し厚く盛り上がらせて印刷した点字印刷物であった。
しかし、それは、点字の点としては、まだ低すぎて実用的には使えないものであった。
インクによる点字印刷法については、昭和47年に私が「自動点字翻訳の原理」(『言語生活』筑摩書房、1972年9月号)において、将来のコンピュータによるインクジェットプリンターで点字印刷できる可能性があると触れている。
まだパソコンもない時代でインクジェットという印刷方式そのものが開発中であった。
それでインクによる印刷法が、点字印刷に応用できるのではないかと関心があった。
昭和47年当時、私はインクジェット印刷で、点字の点をいかにして厚く盛り上げるかということと、その厚く盛り上げた点字を、どのようにして高速に乾燥させるかが問題であると思っていた。
高速乾燥については解決策がなかったが、点字を厚く盛り上げる方法については、インクに発泡剤を入れ、印刷後これを加熱・発泡させて、膨らませればよいというアイデアに落ち着いた。
発泡させればインクは2、3倍の高さになるからである。
そこでM氏に対して、その見せてくれたインクによる点字の点を発泡させればよいと、アイデアを提供した。
それが縁で、後になって私が通産省の福祉機器開発に係わったのである。
それから数カ月して昭和50年9月号の印刷技術専門誌に、「新しい点字の印刷法」という表題で、発泡インクによる点字印刷法が発表された。
発泡インクは特殊なインクではあるが、印刷材料としては以前からあり、印刷業の方には知られていた。
これは、文字や模様を浮き上がらせて、凸形に表現するための印刷材料である。
だがそれを点字印刷に応用することは、私に会って低い点字を発泡させるというアイディアを聞き、通常の高さの点字印刷が可能になって、はじめて発表できたはずである。
昭和51年の8月に、通産省の外郭団体である「技術開発組合医療福祉機器研究所」が発足した。
そして早速、初の研究・開発計画として、医療関係4テーマと福祉関係4テーマが発表された。
その福祉テーマの中に、点字複製装置の開発に関するものがあった。
開発期間は、昭和54年3月までの2年半余であった。
この研究所は、通産省から多額の研究開発費を受け、テーマに沿って研究・開発を進める企業の集合による組合組織である。
1テーマが何年にもわたる開発で、テーマごとの開発費は、数億円から何十億円である。
点字複製装置については、当初は凸版印刷株式会社と松下技研株式会社とで開発組合を作る予定であったが、その後岡崎氏のいる日本タイプライター株式会社も参加するようになった。
私が自動代筆など、点字についての研究を行なっていたせいか、私も点字使用者として、開発委員会委員の一人になった。
点字複製装置とは、紙に書かれた点字を光で読み取り、同じ点字印刷物を何部も作るという装置である。
つまり、この文章のシリーズの「第19回」で紹介した、「点字カセットシステム開発研究会」の内容と同じであった。
ただ点字の印刷を発泡インクで行なうところに重点が置かれていた。
誠に皮肉なことであるが、私は、かつてインクを発泡させることによる点字印刷のアイデアを、訪ねて来たM氏に提供したが、委員会ではその発泡インクによる印刷法に反対せざるを得ない立場になってしまった。
凸版印刷の工場で、点字を発泡インクで印刷するところを見学する機会があった。
私が見たのは、点字用紙と同じ大きさのシートに点字の形に穴をあける。
次にそのシートを網のスクリーンに乗せて、発泡インクを点字の形の穴から下の紙にインクを写す。
その紙はインクがすぐに乾かないので、3センチ間隔ぐらいで何十段もある金網製の棚で1枚ずつ乾かす。
インクが乾いてから熱ローラーという、ちょうど点字亜鉛印刷のローラーが100度前後に熱せられた装置に通す。
この熱でインクが膨れて、はじめて点字が形成されるというものであった。
私は、この発泡インクによる点字印刷工程を見て、幾つもの問題点がわかった。
それは、厚く盛られたインクを乾燥させるために相当に時間がかかり、また乾いていないインクが付いてしまうので、紙を重ねられないため、数十段にも及ぶ棚が必要であるなどであった。
実はこれに先立ち、私は初期の開発委員会において、点字印刷部分は発泡インク式でなく、点字用紙を用いた打点式点字ラインプリンター方式にすべきであると提案したが、全く無視された。
発泡インクによる点字印刷が、この開発プロジェクトの「目玉」だったためである。
すでに発泡インクによる開発方法と、そのための予算が決まっていて変更できないということであった。
それは企業中心の開発であり、障害者不在の開発と言わざるを得ない。
その証拠に、前に挙げた3種類の盲人用開発テーマで実用的に使われているものはほとんどない。
1年間につき、一体何億円ずつを無駄にしたのだろうか。
(六点漢字協会・長谷川貞夫)