六点漢字の自叙伝(20)


 六点漢字の自叙伝(第20回)1998年6月、通巻第186号

         いろいろな点字プリンターの試み

 以前にも述べたが昭和50年までは、日本電信電話公社武蔵野通信研究所が、昭和32年に試作した専用の点字プリンターと、岡崎氏の開発したものを除き、実際につかえる点字プリンターはなかった。

そのため点字印刷を必要とする場合は、通常のラインプリンターのピリオドなどの点を用い、デニムなどの生地を活字と紙の間にはさんで点字を浮きださせた。

 前回述べたが、私の知る範囲では、国内においては、日本ユニバックの塩谷靖子さんのものが最も古い。

 また立教大学でも昭和48年前後にミニコンピュータのプリンターで同様なことを行なっていたと聞いている。

 日本IBMは、昭和50年前後から「ウェルフェアセミナー」の名前で、コンピュータによる障害者福祉に関連するセミナーを開催するようになった。

 それこそ、その頃は、パソコンはまだなく、したがってマイクロソフトもなかったから、コンピュータと言えば、大型機のIBMの全盛時代であった。

 ウェルフェアセミナーは障害別に行なわれたが、初期は、第4回、第7回などが視覚障害関係であったことを覚えている。

35回まで行なわれたが、パソコン時代となり、皮肉にも、日本IBM主催のセミナーなのに、NECのPC-98を用いた研究発表ばかりが多く目立った。

それでも日本IBMは発表に何の制限も加えず、セミナーを継続した。

しかし、さすがの日本IBMもワークステーションとパソコンの小型機時代になり、このセミナーを続けられなくなったようである。

つくづくと科学技術時代の激変ぶりを感じさせられる。

 そのNECのPC-98ですら、Windows時代で、日本におけるかつての寡占時代は終えたのである。

 昭和52年頃、日本IBMは、確かスウェーデンIBMから点字印刷のための補助装置を取り寄せた。

そして視覚障害についてのセミナーの会場で配る点字印刷物を、その補助装置で印刷して配った。

 その補助装置は、IBMのラインプリンタ−装置の活字チェーンという部分に取り付けるものであった。

この装置による点字は非常にはっきりした点字であった。

しかし、ラインプリンターの行間が、墨字印刷の営業用のままであったから、点字の上下の点間が長く、やや読みにくいものであった。

私は、当用漢字音訓表の紙テープを渡し、その一部分ではあるが、この点字装置で印刷してもらった。

 ここで、私の知る限りにおいて、岡崎式、平塚式(ESA)の現れる頃までの点字印刷装置について述べておこう。

 記憶は正確とは言えないが、昭和45年頃に京都ライトハウスが、電機メーカーの立石電気の援助を受け200万円で自動点字製版機を作ったようである。

これは、通常の点字亜鉛製版機を改良したものと思われるが、紙テープに点字を手で黒くマークし、それを光電装置で読み取り点字印刷するものと覚えている。

 私は20年ほど前に、この装置を開発したたしか酒部(さかべ)氏という方、および京都ライトハウスの方と電話でお話した記憶がある。

ただ、この装置は実用的には使われなかったようである。

 昭和47年の頃である。

私は点字プリンターを求めていろいろと探していた。

赤坂に日本IBMの事務所の一つがあった。

そこに「ドキュメントD」という点字タイプライターが陳列してあった。

これは電気信号で動く点字タイプライターではなく、ただのフルキー式電動点字タイプライターであった。

 その原理はバー式のカナタイプライターを覚えている人はまだ多いであろうが、その活字部分に点字の活字がついた電動タイプライターである。

プラテンが多少軟らかいのかも知れないが、電動の力が強いせいか点字は読みやすいものであった。

価格は14万5千円ぐらいだったと思う。

 私はこの電動タイプライターを信号で動かすようにすれば自動点訳に使えると思い、そのような改造をしてくれる人を探した。

そして山田氏という方と、具体的な話も進んだが、結局岡崎さんの機械に落ち着いたのである。

 私が岡崎式タイプライターの1号機を購入してから、私のところへ日本工業大学の先生が訪ねて来られた。

そこで日本IBMの電動タイプライターの話をすると、大変興味を持たれたようである。

ご専門は電子工学で東京大学工学部電子工学科に長くおられた先生であったが、この点字タイプライターを改良されて点字プリンターを作られたようである。

残念ながら、私は完成されたその実物に触れていない。

 私が昭和50年4月に日本ME学会で初めての自動代筆(点字による日本語ワープロ)の発表をするおり、研究会のプログラムを見て、東京大学生産技術研究所の尾上守夫(おのえ・もりお)先生が筑波大学附属盲学校まで訪ねて来られたことは前に述べた。

私はME学会の発表が終わってから港区の六本木にある東京大学生産技術研究所を訪ねた。

そして先生に点字の印刷ができる装置を見せていただいた。

 それはコンピュータで図面を書くXYプロッターという装置を応用したものであった。

 XYプロッターのペンは、点字を打つのにはあまりにも細い。

そこでそのペンで点字の点の大きさの形を小さく描かせるのである。

この場合、下のゴムの円筒を軟らかくしてあったのかもしれない。

まことにうまい発想である。

そしてこのプロッターは墨字の形も凸線で描けるのである。

残念ながら、当時はまだ半角のアルファベット、数字、カタカナの時代であった。

 現在リコーが「点図くん」という点字プリンターであり、点図も書ける装置を発売している。

リコーは、よくこのように採算の合わない製品を扱ってくれていると思う。

そして、この技術の源が私が昭和50年に見た装置の延長線上のものであると思っている。

 TPシリーズの静かな点字プリンターを製造発売していた東洋ハイブリッドが昨年の10月に、点字以外の部門で失敗して倒産した。

ところが、その点字プリンターシリーズが日本テレソフトから再び発売されるようになった。

うれしいかぎりである。

 このプリンターの誕生からの経過についても触れたいと思っている。

                   (六点漢字協会会長/長谷川貞夫)

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