六点漢字の自叙伝(14)


  《六点漢字の自叙伝》 (第14回)1997年12月、通巻第180号

      − 都立中央図書館対面朗読開始と点字ワープロ実験準備 −

 先月号で述べたように、初の自動点訳実験は、昭和47年7月頃に具体的準備にとりかかり、翌年の1月30日に実験による初めての点字プリントを行なった。

次は現在の視覚障害者用ワープロに相当する、点字による漢字入力実験を行ないたかった。

当時は、まだワープロという言葉はなかった。

そしてコンピュータで漢字を含む文字を書くことを漢字入力と呼んでいた。

この点字による漢字入力を、当時私は、「自動点訳」に対し、「自動代筆」と名づけていたが、「漢字入力」より「ワープロ入力」などの言葉が普及した今日では、この「自動代筆」を、「点字ワープロ」として説明する。

 都立中央図書館は、日比谷図書館が母体となり、そこから数キロ離れた港区麻布に昭和48年1月に、公共図書館のモデル的設備とサービスを誇りながら開館した。

そして、月末から業務が始まった。

丁度自動点訳実験を行なった頃のことである。

 日比谷図書館は、この新しい中央図書館の分館となった。

そして、新館準備のため、日比谷図書館で、半年にわたり中止になっていた体面朗読が、正式な図書館サービスとなって再開された。

ここでは、朗読室5室をもって発足し、利用時間は一般利用者と同じになり、障害者なるがゆえの利用時間制限もなくなった。

そこで、今度は、こちらで思う存分に墨字の図書が読めるようになった。

一般利用者と同じであることが、何と素晴らしいことかと思った。

しかし、視覚障害者であっても、住民であれば、これが当然なことなのである。

それまでがおかしかったのである。

 視読協の市橋正晴氏、曽根純子さんらが、東京都や港区と交渉し、地下鉄の広尾駅から点字ブロックが敷設され、また音響式交通信号機も設備されていたので、図書館へは行きやすかった。

当時は、まだ道路の点字ブロックや音響式交通信号機が珍しかった。

この公共図書館における対面朗読サービスが全国に普及し、図書館までの道や、図書館内部に点字ブロックが敷設されるようになったのである。

現在、視覚障害者サービスを行なっている公共図書館は約2400館であり、点字図書館の91館より圧倒的に多い。

対面朗読サービスなど、地域に密着したサービスは公共図書館の方がしやすいはずである。

それぞれが機能的役割文担を行なって、双方がうまく運営してもらいたいものである。

 対面朗読の曜日と時間が、日比谷図書館のように、毎週火曜午前における2時間半の1回だけと制限されていなかったので、都合のつく限り、私はこの図書館に通った。

午前9時半の開館から夜8時の閉館まで利用したことも度々である。

本当に充実した毎日であった。

 私が、主に図書館で調べたのは、コンピュータと印刷の関係であり、また六点漢字を作るため漢字に関する書籍についてであった。

 漢字は、六点漢字第3案、第4案へと改良が進んだ。

何冊かの漢和辞典を比較しながら調査したが、そのうちに、私があまりに漢和辞典を使うので、本が、ボロボロに壊れてしまい、改めて製本し直したものもあった。

確か角川「新字源」の大活字版であった。

この中央図書館で作った漢字第4案が昭和49年12月に行なった最初の点字ワープロ実験に使われたのである。

 点字ワープロを実現するには、点字データタイプライターのほかに、漢字プリンターの接続されたコンピュータが必要である。

 現在のパソコン用漢字プリンターは、パソコンの歴史上、昭和57年頃から、おおよそ2〜3年ごとに、何世代にもわたり改良され、初期のパソコン用プリンターの面影はない。

現在は、カラー印刷で精密な印刷ができるので、出版印刷用の版下さえ作れる。

 パソコンにつながる漢字プリンターで、最初のものは、エプソンの55万円のものであった。

何とプリンターの価格が低下したものかと驚いた覚えがある。

この機械は、勿論白黒だけの印刷であり、印刷の点間隔が粗く、とても良質な印刷用版下は作れない。

それでも、価格と重量は、今のものの20倍ぐらいしたのである。

しかし、それでも、のどから手が出るほど欲しかったが、高価で購入できなかった。

そんなプリンターの出る7年前のことであるから、信じられないかもしれないが、漢字プリンターだけで数千万円したのである。

 点字ワープロの実験を行なうには、その高価な漢字プリンターの接続された汎用コンピュータが必要であった。

 その頃、私は視読協の市橋氏、全視協の橋本宗昭氏らとともに、国会図書館を訪ね、副館長の酒井悌氏や、総務課長の高橋徳太郎氏と、国会図書館の視覚障害者サービスのことで会う機会が幾度かあった。

その折に、高橋氏に、点字ワープロ実験のため、電子計算機を使えるようにして欲しいとお願いした。

高橋氏はよく聞いて下さり、担当課の能勢信二氏に紹介して下さった。

それで国会図書館の漢字プリンターつきコンピュータシステムが使えるようになった。

当時の漢字プリンターとは、電算写真植字印刷の版下を作成する装置でもあり、印画紙や1ページ大の写真用フイルムに出力するものであった。

だから数千万円もしたのである。

国会図書館のものはJEMシステムと言い、倒産して今は会社がなくなってしまった日本電子産業製のものであった。

 点字ワープロ開発のプログラムも、自動点訳のプログラムを担当してくれた辻畑さんに続いてお願いすることにした。

辻畑氏は、東大を卒業し日立製作所のコンピュータ部門に勤め、PL/I(ピーエルワン)というプログラム言語の開発を行なっていた。

そうして、国会図書館に、日立のHITAC(ハイタック)‐8400というシステムが入っていたので、何かと都合がよいであろうと想像された。

辻畑氏は、会社で開発しているPL/Iでプログラムするといっていた。

 六点漢字と点字情報処理を今考える時、このように視読協運動、公共図書館における対面朗読サービスと切り離して私は語れないのである。

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