《六点漢字の自叙伝》(第10回)1997年8月、通巻第176号
−煙を上げて止まった初の点字プリンター−
「日本語の機械処理」の著者である高橋達郎氏に会った。
そして印刷界における革命的技術の電算写真植字印刷化の進行を改めて確認した。
その電算写植印刷データを自動点訳へ応用することにより、自動点訳実現の可能性の高まりつつあることを確信した。
そして、いよいよ自動点訳実験の準備にとりかかった。
電算写植印刷による自動点訳というのは、現在なら何ということはない、ワープロで書いたデータから点訳するということと同じなのである。
今はDTPなどと言われ、文字通り個人の机の上のパソコンで、出版物にもなるきれいな印刷が行なわれている。
しかし、当時はコンピュータそのものが身近にはなかった。
昭和47年当時において、東京大学にコンピュータは勿論何台かはあったが、それでも漢字プリンターの使えるコンピュータは1台もなかったのである。
現在ならどんな簡単なワープロにもついているあの漢字の書けるプリンターがである。
自動点訳を行なうには、次の5種類の事柄を準備しなければならない。
1.紙テープ式点字データタイプライター:パソコンがまだなかったので、コンピュータセンターのコンピュータと点字データを間接的に交換するために必要。
2.自動点訳に使う、新聞、雑誌、書籍などの原文の記録された紙テープデータ:現在ならテキストデータの記録されたフロッピーディスクがそれに当たる。
3.点字の漢字:墨字の原文にある漢字に対応する点字の漢字。
これが後に六点漢字となった。
4.汎用コンピュータ:墨字データを点字データに変換するコンピュータ。
当時におけるコンピュータセンターの使用料は1秒間で約50円〜800円。
5.プログラマー:自動点訳プログラムをアセンブラーで作れる高技術のプログラマー。
まず「1.」の点字データタイプライターであるが、これは誠に偶然のことから入手が可能になった。
ある時、日本点字図書館の本間先生から、「岡山県の人が点字の装置を開発して、それを図書館へ見せに来ます。
よかったらそれを見学に来ませんか。」
というお話があった。
私は興味があったのでその機械を見に行った。
そして岡崎止郎(しろう)氏に初めて会った。
岡崎氏の機械は、点字キーを押すと電動で点字を打ち出すものであった。
そして2台を連結すれば1回のキータッチで2台のタイプライターが動き2枚の点字用紙に同じ点字が書けるというのである。
つまり、2台の機械の間にデータを交換する入出力口がついているということである。
私はこの点に注目した。
これは、当時としては画期的なことであった。
これを、もし現在のようにパソコンに直接につなげば、今の点字プリンターということになるのである。
岡崎氏は日本タイプライター岡山工場に勤めていた。
近くに岡山盲学校があり、盲学校の教員が、点字タイプライターや点字亜鉛製版機の修理を度々依頼した。
岡崎氏は日本で最大の和文タイプのメーカーの技術者である。
自分がやればもっと良い点字タイプライターや点字製版機ができると考えた。
そこで岡崎氏は日本タイプライターの十数人の社員を誘って会社を辞めさせ、その人達を引き連れ株式会社岡崎事務機研究所を設立した。
そしていろいろな点字装置を考え製品カタログまで作った。
私のところにはそのカタログがある。
日本で一番古い点字プリンターのカタログである。
その後に岡崎氏は再び図書館へ来て、今度は電動亜鉛製版機を見せてくれた。
しかしその製版機はすごいモーター音をビューンと響かせてから、キーの操作とともに、大きな音でガチャン、ガチャンと2、3マスの点字を打ったらビクとも動かなくなってしまった。
どうもこの会社は製品をまだ完成していないらしい。
機械のカタログには紙テープで動かす点字装置があった。
岡崎氏はこの紙テープ装置で同じ点字文を何部も印刷しようとしたのであり、コンピュータとつなげて自動点訳などを行なおうとは考えていなかった。
ところが、私はこの機械を点字のコンピュータ処理に使いたかったのである。
私の自動点訳実験にはこの紙テープによる点字装置が是非とも必要である。
しかし私はそのことを、岡崎氏には絶対に言わなかった。
それは岡崎氏がかなりの特許マニアであり、後で特許上のことを持ち出され、何かと面倒になることを恐れたからである。
私は岡崎氏に気付かれないうちに自動点訳実験してそれを公表してしまえば、もう岡崎氏が特許を取れなくなると思ったのである。
私は迷った、そして考えた。
自動点訳を行なうためにはどうしても電子計算機と点字をつなげる必要がある。
それには、このカタログにある紙テープ装置とそれにつながる点字タイプライターが必要である。
目の前にある機械はどうしても動かない。
果して、カタログでだけで知る紙テープ装置のついた機械が、動いてくれるだろうか。
しかし、この会社は、近いうちに必ず倒産するに違いない。
なぜなら、製品は完成していない。
また現在の言葉で言えば、まだパソコンがないのだから点字プリンターの需要はない。
それなら、倒産する前に、機械を何とか入手し確保しておかなければならない。
私は試みに電動点字タイプライターを1台だけ注文した。
電動点字タイプライターは岡山から自動車で届けられた。
早速その機械のテストを兼ねて、私はその電動タイプライターで、原稿を依頼されていた墨字の雑誌「月刊社会教育」の点字による下書きを書こうとした。
ところがである。
点字で1ページも書かないうちに、何となく機械のゴムが焼けるような臭いにおいがしはじめた。
間もなくすると煙が出て来たようである。
機械は止まった。
そして二度と動かなかった。
やはりこの電動タイプライターも未完成品であった。