六点漢字の自叙伝( 5)


   《六点漢字の自叙伝》(第5回)1997年3月、通巻第171号

         −日本初の録音テープライブラリー−

 私が雑司ケ谷の学生寮において副寮長や寮長をしていた頃、織田栄子さんという方を中心に数人の方が交代で朗読奉仕に見えていた。

グループは女子学習院の同窓の方方であった。

織田さんは浮世絵の蒐集家で、NHKにも出演されていた。

ご主人は、日本人初のオリンピック金メダリストとして有名な織田幹雄氏である。

そこで、私は試しに織田さんの朗読を録音してみた。

織田さんの「便利な機械があるのですね」の言葉に、私は、日本点字図書館で実現できなかったテープライブラリー構想をお話した。

織田さんは、早速それをグループの人達に話し、その後は対面朗読とテープとの二本立てとなった。

その人達が、どのようにしてテープレコーダーを用意されたかは知らないが、経済的に大変だったはずである。

 録音テープは、新たに購入したものなどを合わせて約50巻程で始めた。

しかし、この数ではまだ図書館はできない。

当時新品のオープンテープは、直径7インチの1巻が2,500円前後した。

大学卒の初任給が約1万円の頃の話である。

録音は主に中目黒教会の方が行っており、毎回10数本が寮に届けられた。

小林慶子(よしこ)、渡辺文子(あやこ)、宇賀田為吉(うがたためきち)さんなどが盛んに朗読されていた。

宇賀田さんは港区の医師であり、医学書を多く読まれた。

そしてそれらのテープを聞いてから返却し、そこに新たに録音された。

まだ直径7インチのオープンテープの時代で、優良品はアメリカのスコッチ(Scotch)であった。

ソニーのものもあったが、まだアメリカ製と比べ、かなり遜色があった。

国産テープの中には、紙のものさえあった。

 その頃録音され印象に残るのは、武間(ぶま)謙太郎氏が録音された内村鑑三著「余は如何にして基督信徒となりし乎」がある。

この本とともに届けられた何本かのテープが、中目黒教会を中心とするグループが最初に録音したものである。

そのほか、夏目漱石の「それから」、新作としては芥川賞の深沢七郎の「楢山節考」、当時ベストセラーであった原田康子の「挽歌」、ケイ・ノルティー・スミスの「第三の眼」、安本末子の「にあんちゃん」などがあった。

これらのテープは、寮生を集めてなるべく大勢で聞くようにした。

テープの中には、教員養成部の佐藤親雄(ちかお)先生が教育学の教科書として著した「教育原理」もあった。

盲学校にも点字教科書はなかったが、教員養成部はごく簡易な英語のリーダー1冊だけだったので、この本を録音したのだった。

このように沢山のテープが1週間おきに届けられた。

しかし、折角録音したのにそれを消して新たに録音するのはもったいない話である。

やはりテープを蓄積してテープ図書館にするには、ラジオ放送局の不要になったテープを入手する必要があった。

幸いグループの小林慶子さんのご主人が文化放送社長水野成夫(しげお)氏の知り合いで、そのため同放送から録音テープが定期的に提供されるようになった。

こうして録音図書は消さずに済むようになり、朗読もNHK東京放送劇団の片岡みどりさんの指導で、より本格的になった。

そして約1千巻ほどテープがたまったところで、東京の銀座4丁目の教文館ビル5階にあった、国際キリスト教奉仕団事務所内に日本初の録音テープライブラリーが昭和32年に誕生したのだった。

 同奉仕団は、終戦後米国からのララ(LARA)物資を日本で分配、配布する組織の一部であった。

しかし昭和31年の頃にはこの使命を果たして、次の目標を検討しており、そこに録音テープ図書館の話があったのである。

総主事は武間謙太郎氏で、テープライブラリーの担当は小川孟氏であった。

 昭和32年度の『NHK新聞』に、盲学校の寮でテープレコーダーを囲み録音図書を皆で聞く写真がある。

この写真に写っている録音機は、国際キリスト教奉仕団テープライブラリーが雑司ヶ谷分校寮に貸してくれた最新の機種で、赤井AT-900である。

この機械をテープライブラリーは何カ所かに貸し出していた。

ちなみにこの新型の録音機は2万9,800円もした。

 このライブラリーが、当時視覚障害者の間にあまり知られなかったのは、ある種の配慮からであった。

まだその頃、日本点字図書館は全国に散在する点訳奉仕者の献身によって成り立っていた。

点訳者には、一般のサラリーマンや家庭の主婦などもいるが、カリエスなどで外出できない人が病床でコツコツと点訳していた。

そこに、当時としては贅沢な録音機を買い、マイクを置いて朗読すれば、視覚障害者の本が点訳に比べ簡単にできてしまう。

これでは、点訳奉仕者と点字図書館に衝撃を与えるのではないかと考えたのだ。

私は国際キリスト教奉仕団に対しそのことを心配してお話したが、奉仕団もそれを配慮されたようであった。

 この当時、同奉仕団は全国の民間放送局に録音済みの不要テープの提供を依頼した。

すると、かなりの数の放送局から録音テープの提供があった。

とくに北海道放送からはたくさんあったと聞く。

しかし、放送局のテープは業務用であり、直径10インチ程の金属製リールに巻かれていたため、それを普通の録音機用に7インチのプラスチックリールに巻き直さなければならなかった。

 放送局のうち、ラジオ東京(現、TBS)からもテープが来たが、「日本点字図書館にも同じテープを提供します」という添え書きがあったそうだ。

しかし、その時同館はテープ図書の制作を始めていなかった。

このことが同館のテープ図書制作開始にどのような影響を与えたのであろうか?

 その後、国際キリスト教奉仕団テープライブラリーは現在、東京都新宿区西早稲田の日本キリスト教会館内にある。

当初は利用者の希望する図書全般を録音していたが、今はこんなにも普及しつくした視覚障害者の録音図書の中で、主としてキリスト教関係の図書に重点を置いて録音している。

昭和31年から盲学校の寄宿寮の生徒に録音したり、そのテープを届けて下さっていたグループの一員、渡辺文子さんはなお続けてこのライブラリーで奉仕活動をなさっているという。

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