六点漢字の自叙伝( 1)


      《六点漢字の自叙伝》(第1回)1996年11月、通巻第167号

 ―初めての点字ワープロからバーチャルリアリティをこの手で握るまで―

                  六点漢字協会会長  長谷川 貞夫

 今号から約1年にわたり六点漢字の発明者として、また視覚障害分野における情報処理のパイオニアとして、つとに有名な長谷川貞夫先生に機械点訳黎明期の舞台裏と今後の情報処理応用の展望について連載していただく。

 20年前なかなか信じてもらえなかった夢の技術が実現した今も、未来の技術に関しては、やはり一笑に付されることが多い。

過去の苦労を未来に生かすためには、過去の正確な検証がまず必要だろう。

その上で先生には、実現可能な夢を根拠を示し存分に書いていただく。

 今回は第1回目として特別に紙面を割き、その概要を示していただいた。

                              (編集部)

              (1)連載にあたって

 私は平成7年3月に、筑波大学附属盲学校(附属盲)を定年退職した全盲の元盲学校教師である。

そして私が学び、長く勤務した附属盲は、本年11月16日に創立120周年記念の催しを行なう。

これを機に生徒時代から退職までの44年間に、私がその附属盲で行なってきた視覚障害者の情報の問題について、振り返ってみたいと思う。

 私が筑波大学附属盲学校の前身であった東京教育大学附属盲学校に入学したのは、昭和26年の4月であった。

弱視であったが、それまで私は都立の普通高校に通っていた。

しかし、網膜色素変性症が進行したので、改めて盲学校に入りなおしたのだ。

前年からの朝鮮戦争が激しい時で、附属盲にはそれ以前の第二次大戦の影響もまだ色濃く残っていた。

そんな時代に盲学校に入って、私がまず驚いたことは点字で発行されている教科書の少なさ(2、3点であった)と、その異常な値段の高さであった。

そこで4年後の専攻科2年の時に、思い余って生徒会でこのことを問題にした。

それは大きな反響を呼び、あっと言う間に全国盲学校生徒点字教科書問題改善促進協議会(全点協)が組織され、約1年間にわたって全国で点字教科書を要求する活発な運動が起こった。

これが功を奏し、翌、昭和31年から盲学校高等部の教科書がほぼそろって発行される見通しとなり、また就学奨励費で点字教科書と弱視者の使う教科書が無料となった。

そんな嬉しいニュースを聞いたのは、私が東京教育大学教育学部特設教員養成部理療科に在籍していた時であった。

その頃私は、放送局で不用となったテープを利用し視覚障害者のための録音テープライブラリーを作れないかと孤軍奮闘していた。

当時は、まだ誰も考えなかったことで理解を得るのに苦労したが、東京・銀座の教文館ビルにあった国際キリスト教奉仕団にお願いして、この計画を実現してもらうことができた。

このように点字教科書、録音テープライブラリー、またその後の視覚障害者読書権保障協議会(視読協)における対面朗読の働きかけなど、思い出すと私は視覚障害者の情報の問題に、自然に深くかかわってきたようである。

これが私をコンピュータによる自動点訳と、点字による日本語ワープロへと走らせた由縁であろうか。

 今はマルチメディアやインターネットに代表される、情報の時代である。

この三次元映像技術と世界を結ぶ通信技術の時代において、私は視覚障害者がこれから必要とする技術として、「ブラウン管ディスプレイの中に手を入れて、仮想物体である立方体をこの手でつかむ」体験をした。

その仮想物体をつかんだという確かな実感は、私が22年前に国立国会図書館の電子計算機室で点字から初めて漢字を含む日本語を書いた時と、23年前に私の家で行なった自動点訳の実験のときに感じた感動とまったく同じであった。

その頃はまだパソコンもなく、電子計算機センターで漢字を含む日本語を書くことが、汎用コンピュータ利用の最先端技術であった。

現在の3.5インチで1メガバイトのフロッピーディスクやMO(magneto-optical memory:光磁気記録)ディスクはまだなく、それに代わりうるものはデータタイプライターで扱う千円札ほどの大きさの紙カードの束か、直径25センチほどに巻かれた紙テープに限られていた。

当時、私は日本において使えるただ1台の点字データタイプライターを動かすため、紙テープを用いデータを取り扱っていた。

この紙テープは幅約2.5センチで、1ビットずつの情報が記録された穴が点字のように並んでいた。

点字は3点ずつの2列であるが、8単位紙テープには、2.5センチの紙幅に8個までの穴が1列に空くようになっていた。

穴の大きさは、ほぼ点字の1点ほどで、もし修正したい文字があると、健常者は目で穴を見ながらその修正したい部分を見つけ、ハサミでその部分を切り糊付けしながら修正した。

私の場合は、テープに点筆の先を当て、テープの幅の方向に点筆の先を動かすと、穴が点筆の先でポツンポツンと確かめられるので、あたかも点字の1点ずつを確認しながら亜鉛版の点を修正するように、それを頼りに自分でテープの編集を行なった。

つまり、コンピュータ情報の1ビットずつを触覚的に確認しながら修正したのである。

私は今も多量の紙テープと、この紙テープを固定して糊付け修正する簡単な装置を持っている。

現在では紙テープやそのための装置は、エジソンのロウ管式蓄音機のように古めかしく珍しいものだろう。

今はその情報の大きな集合である何メガビットもの三次元立体映像データの塊を、あたかもコップをにぎるように触覚で確認できる時代である。

この紙テープの1ビットずつの情報と、立体映像を構成する膨大な情報量の差が、まさにこの20年間における情報処理技術の進歩を雄弁に物語っている。

以前のコンピュータは、取り扱えるデータ量があまりに少なく、また処理速度も圧倒的に遅かった。

そして今日においては、ワープロなどの操作はすでに広く普及した自動車の運転同様、誰でもできるごく当たり前のものとなっている。

現在は、当時の大型電子計算機以上の性能を持つパソコンがどこにでもあり、少し旧式のものは粗大ゴミ扱いされている。

このような変化に、私はしみじみと技術進歩の速さを痛感する。

 私がブラウン管ディスプレイの中に手を入れて、4センチの立方体である三次元映像を、あたかも机の上のコップをつかむようにつかんだと言っても、コンピュータ時代の今でもなかなか信じてもらえないだろう。

しかし、ディスプレイの中に実際に手を入れたわけではないが、そのブラウン管の横に並ぶ装置で、現実には存在しない4センチ四方の立方体をこの手の指でしっかりとつかんだのは事実である。

もし、その物体を上につかみ上げたり左右に動かせば、ブラウン管ディスプレイの三次元映像は、見る角度を変えて側面や裏面さえ見せて、手で動かした通りに動くのである。

これがバーチャルリアリティ(virtual reality:仮想現実感)における触覚・力覚を伴うマルチメディアの三次元立体映像である。

また通信回線を通し、あたかも隣に座っている人がするように、遠隔地の人が私の手をとり動作を誘導する実験も体験した。

遠く離れた人が、私に平仮名の「の」の字を、手をとり指で筆順通りに書いてくれたのだ。

これは、遠距離の視覚障害者に、手をとり動作や物の大きさを伝える実験である。

近い将来アフリカからダチョウの卵の大きさを、手をとって教えてもらえるようになるかもしれない。

このようにマルチメディアの時代に映像が見えない視覚障害者にその三次元映像をつかめるようにしたり、離れた視覚障害者に手を取って動作を伝えることは、将来において極めて重要な技術となるであろう。

もちろんこれらは、現段階においてはごく基礎的な実験である。

しかし、20年前のコンピュータ技術から現在のそれを考える時、今後の20年において不可能と誰が言えるであろうか。

私がその昔、「電子計算機で点字を用い普通の文字を書いたり、電算写植という印刷会社のシステムで自動点訳ができる。

また、漢字を含む日本語を光で読み取って点訳する」と言っても、なかなか信じてもらえなかった。

しかし、今は全国の視覚障害者が家庭や職場においてワープロで墨字を書いている。

また、当時印刷会社で用いていた電算写植用のデータとは、現在では誰でも使っているワープロのフロッピーディスクのデータのことだ。

活字体による印刷は、一昔前までは印刷会社でなければできなかった。

しかし現在では、ワープロなどによる活字体の印刷物であふれている。

そしてワープロで書かれたデータは、健常者と視覚障害者の共用できる文字データとして使われているのである。

健常者用ワープロのデータは、視覚障害者用ワープロで読め、その逆もまた可能になったのだ。

ところが、これもMS-DOSが普及したここ数年のことであり、やっと健常者と視覚障害者が、共通の文字データで結ばれたと思ったのもつかの間、新たな問題が出現した。

WindowsのようなGUI(graphical user interface)という図形をマウスで操作するコンピュータ技術が一般的となりつつあり、そのため健常者と視覚障害者が、共通のコンピュータシステムを使えず相互にデータ交換ができなくなっているのだ。

これは、新しい深刻な問題である。

 ところで、私は昭和52年に当時としては最先端技術であった日本語OCR(光学式文字読取装置)により、東芝総合研究所の協力で「特許公報」の自動点訳を行なった。

それ以来、この紙に書かれた文章を読むシステムがいつ実用になるかと楽しみにしていた。

そして数年前、やっとパソコン本体の何倍もの価格ではあるが、日本でも漢字を含む印刷物を日本語OCRで認識し、読み上げる朗読機のようなシステムが発売された。

しかし、これはまだ高価過ぎて普及しなかった。

ところがその低価格化は速く、最近パソコン本体ほどの価格でパソコンにセットすれば、紙に印刷された文字を朗読する(株)アメディアの「ヨメール」のようなシステムが発売されるまでになった。

これは日本語ワープロ同様、今後視覚障害者の間に急速に普及するであろう。

このことは、GUIでワープロなどのソフトが健常者と共通に使えなくなりつつあるという視覚障害者に不利な状況を、少しでも補う意味で大きな福音である。

 少しくどくなったが、私がここで言いたいのは今はマルチメディアやインターネットなどに代表される情報化社会である。

今から20年後に、ブラウン管などのディスプレイ装置の中の立体映像を、視覚障害者が手に取って見られるようになるということを、誰も否定できないということである。

 今この瞬間においても、全国で視覚障害者が日本語ワープロを使い、仮名漢字変換と漢字の詳細読みで墨字を書いている。

私は仮名漢字変換がない時代に、失明前のあの漢字を含む文字をコンピュータで書き、また点訳したいばかりに六点漢字を作り、日本語ワープロと自動点訳に応用した。

しかし、これまで漢字を使って来なかった視覚障害者が漢字を学ぶことは非常に学習負担が大きい。

そこで、無理に六点漢字を使わなくても仮名漢字変換と詳細読みで、ワープロを使えるようになればそれでよいと思う。

しかし、文字の入力を仕事としている人は、仕事の能率を上げるため、六点漢字などの入力技術は不可欠であろうと考えている。

ここで問題となるのは、視覚障害者の文化としての漢字の問題である。

漢字は約5万字もあり、そのうち日常的に3千字近くが使われているとすれば、視覚障害者のすべてが、その漢字と無縁であることはできない。

視覚障害者が外国語を学ぶ場合、その外国語の文字が点字で書けなかったら勉強できない。

それと同じで、視覚障害者にとっても漢字の学習は必要不可欠だ。

特にこれからの学校に学ぶ児童、生徒、学生は、最もそれを必要とするであろう。

それでは視覚障害者が学ぶ漢字は、どんなものがよいだろうか。

それは覚えやすくすなわち学習負担が少なく、また漢字の原理に基づくものでなければならない。

六点漢字には、すべての漢字に発音記号とも言える音符号(オンフコ゛ウ)が入っている。

だから覚えやすく読みやすい。

これは漢字の90パーセントが形声文字という発音記号入りの文字であることと同じ構成原理による。

そうして六点漢字は、現在JISの漢字表により作られた12,156字の音符号で作られた漢字に対し、同音の漢字を区別するため、92パーセントの漢字に中国の康煕(コウキ)字典に基づく部首がついている。

すなわち、「馬偏」なら「ウ」、「女偏」なら「オ」のように漢字の部首を表わす記号がついている。

そして日常に多く用いられている常用漢字のうちの約1千字には、音とともに訓の仮名がついている。

このように、全体から見れば六点漢字は、かなり部首の原理にも準拠して作られている。

 私が初めて漢字を扱う自動点訳と日本語ワープロの実験を行なうきっかけとなったのは、私にまだ少し視力があった時代に、先輩の尾関育三(おぜきいくぞう)氏の手引きとして喜安善一(きやすぜんいち)氏に会う機会があったことだ。

このお二人が関係して行なった昭和32年頃の東京教育大学と日本電信電話公社(現、NTT)との点字に関する共同研究は、コンピュータの発生地のアメリカより早かったかと思われる。

この研究は、ルイ・ブライユによる点字発明に次ぐ、点字に関する画期的なことであると私は考えている。

それが日本で行なわれたのである。

後で考えて見ると、このことが、私に点字とコンピュータをつなげると墨字の世界につながるという認識を与えたのであった。

 来月号からこの連載により、あまり世間において知られていない当時の汎用コンピュータ、初期のパソコンの点字情報処理と、未来の技術である触覚を伴うバーチャルリアリティなどについて詳しく述べたいと思う。

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